昭和40年04月11日 夜の御理解
今日先程のあの長男が帰ってみえまして、僕は善導寺からおかげを頂いて帰って来たいと思うとこうこう言うわけです。話を聞かせて頂きますと私が聞きましても「うんそんならそげんしたが良かろう」とこう言いたい様な事柄を聞いておるわけですね。他に佐田さん方2、3人おりましたが、本当にやっぱりそんな事ならば帰って来たが良かろうと言う様な事を、やはり腹決心して私の帰りを待っておった訳なんでしょう。
「けれどもね、勝彦、神様の御神意というのはどこに、どげんあるちゃら分からんとだ。」と私は申しました。「それから先に神様の御神意というものはどういう風にあるか分からんのだから、こりゃあ、どうだろうかね、そういうようなことで感情にならず、感情を出さずにおかげを頂いたほうが本当じゃなかろうかね。」自分は涙ポロポロ流して言っているんです。「それが御神意ならば、んなら帰ります」という訳です。
そりゃもう実際ですね、誰が聞いてもそんなら居られまいと言う様な事を、を聞いてからの事で御座いますもんね実際。けどそれが御神意とあらばんなら帰りますという事、しかもその御神意とはどう言う様な御神意かと。今度御本部参拝のおかげを頂きまして、丁度椛目の方達五十何名の者が、もう本当に親先生と御一緒に奥城に出た時にはもう奥城の周囲に一杯、取り巻いてから御祈念がある程に一杯でした。
それが私共が一応ある事情で、下がらしてもらって、ほんの記念写真を撮らせて頂いて十分か十五分ぐらいかかりましたが、そして親先生はあの急ぎの用があるからと言うて、下へ下がられて、私共はそのまま残って奥城に出らせて頂いた時にはもう誰もいませんでした。あの賑やかな沢山なほんの暫くではありましたけれどもですね、で、私共が本当に中心にしてから、椛目の者だけを待っておった。
そん為に人払いでもしておったと言わんばかりに、有り難い雰囲気の中に御祈念をさせて頂く事が出来たんですけれどもね、その時に教祖が頂きます言葉に「世間ではね、先立つ物は金、金という、先立つ物は金だとこういうけれども、ね、信心でおかげを頂くということはまず何と言うても、先立つ物は信心の光ぞ」という事を頂きました。何と言うても、先立つ物は、ね、何と言うても先立つ物は世の中ではお金というけれども、信心ばかりはそうではないという事ですね。
先立つ物は信心によって頂くところの信心の光ぞというお知らせを頂いた、まあ色々其の時、頂いた事で御座いますけれども、ね、神様は本当に泣くにも泣けないと言った様なところでもです、神様の御都合に間違いはない。どういう御都合かというと、まずおかげを下さる前にです、先立つ物は光であるという、その光を下さろうとする為に、神様は修行させて下さるのであり、ほんにそんなら誰でも修行は出来んめと。
そんなら帰って来てもらおうと言った様な事の中にでもです、こりゃ勝彦に力を下さろうとする、私働きだと思って帰しました。とてもそりゃもう言語道断です。私が聞きましても、それがもし事実であるとするならばね、そういう中なら本当に一時でもおられまいと私が思いました。けれどもそれが御神意とあらば帰るとこういう。どういう御神意か、それは分かりませんね。神様のけれど私共がここに分からせて頂く事はです。
そういう中に神様は愈々先立つ物は信心の光ぞと、その光を与えて下さる為に人が通れんところを通らせて下さっておるんじゃなかろうかと私は思うんですね。これは勝彦とか私どもが御本部で頂いた、その事だけのことじゃありませんです、お互いが信心してね、信心させて頂いて起きて来る事の上にです、神様は愈々光を下さる事のために、光を先立たせて下さる事の為におかげを下さっておるんだと私は確信致します。またその確信を持って進む事が信心生活だと思いますですね。
おかげを頂かなければなりません。